私が心理学と出会い、今の活動に至るまでの物語
プロローグ:親に何も言わない「良い子」だった子供時代
大阪府河内長野市で、銀行員の父と教師の母という厳格な家庭環境のもと、3人きょうだいの長女として育ちました。家庭内では常に親の顔色をうかがい、「期待に応えること」を最優先にする典型的な「良い子」でした。親と大声で喧嘩をした記憶すらありません。
進学も就職も、すべては親の敷いたレールの上。自分の本当の感情や欲求を無意識に押し殺し、家庭内の調和を保つ「バランサー」としての役割が、いつしか私自身のアイデンティティとなっていました。
でも、当時はそれが当たり前だと思い込み、親との関係は良好だと信じて疑わなかったのです。
葛藤の20代:繰り返される生きづらさと依存
大学卒業後は、銀行員や事務の派遣など様々な職を経験しましたが、社会に出てからは人間関係の壁にぶつかり続けることになります。上司や先輩の何気ない言葉に過剰に傷つき、他者との適切な距離感がわからず、常に周囲の評価に怯える日々。息苦しさを抱えたまま長く働き続けることができず、職を転々とする状態が続きました。
そんな現実のストレスから逃避するようにのめり込んだのが、パチンコです。毎日のように通い詰め、手にした収入のほとんどをつぎ込むほどのギャンブル依存状態でした。今振り返れば、それは心が悲鳴を上げていたサインであり、誰にも頼れない孤独感を埋めるための防衛機制だったのだと思います。(今はギャンブル依存は治っています、ご安心ください笑)
転機:産後うつと、孤独なワンオペ育児
その後、結婚を経て二人の子どもに恵まれましたが、下の子を出産した後に「産後うつ」を発症しました。当時は夫が単身赴任中で不在がちであり、ほぼ一人で育児を担う過酷なワンオペ状態でした。
しかし、長年の「良い子」気質が災いし、親や周囲に「助けてほしい」「甘えたい」という本音を口にすることに強烈な罪悪感を抱いていました。「頼るくらいなら消えてしまいたい」「助けてもらったら申し訳なくて死にたくなる」という極端な思考に陥り、心身ともに限界を迎えていました。
心療内科での5年にわたる投薬治療とカウンセリングを受けながら、暗闇の中を這うような日々を過ごしました。この苦しい時期にヒーリングや現代レイキなどの癒やしの世界に出会い、「いつか私も人を癒やせる存在になりたい」という小さな希望の光を見出し始めました。
深い悲しみの果てに:家族の連鎖と心理学への道
自身の症状が少しずつ回復に向かっていた矢先、妹が心の病を悪化させて自死で亡くなり、さらに弟もうつ病を発症するという耐え難い出来事が起きました。深い悲しみと同時に、私の中にひとつの大きな疑問が生まれました。
「なぜ、きょうだい全員が心の病に苦しまなければならないのか?」
これは決して偶然や個人の性格だけの問題ではない。そう直感した私は、その答えを求めるように本格的な心理学の探求へと突き動かされました。そこで初めて、自分が「愛着障害」を抱えていたこと、そして家族間で問題が連鎖するメカニズムや、無意識に引き継がれる「人生脚本」の存在を知ったのです。
再生:自己受容がもたらした光
心理学を深く学ぶにつれ、私たちの家族の中でなぜ問題が繰り返されたのか、その理由がパズルのピースがはまるように明らかになっていきました。それと同時に、私自身の内面にあった「人が怖い」「バカにされるのが怖い」という根源的な恐怖にも直面しました。
「なんだ、私はずっと人が怖かっただけなんだ」
そう気づき、自分の弱さも含めて理解できた時、ようやく自分自身を許すことができました。自分の性格をダメなものだと否定して無理に変えようとするのではなく、ありのままの自分を受け入れる「自己受容」の感覚。大嫌いだった自分を大切に扱えるようになったことで、自然と子どもや夫、そして周囲の人々へも優しい眼差しを向けられるように変化していきました。
メッセージ:人生は、いつからでも変えられる
かつての私と同じように、理由のない生きづらさを抱え、自分を責め続けている方へ伝えたいことがあります。
人生は、いつからでも変えることができます。理由のない生きづらさは、心の仕組みを理解し、適切にアプローチすることで必ず解決していけるものです。
心理学の知識は、人生を根底から幸せに変える強力なツールとなります。
「正しい自己受容」を知ることで、あなたの見ている世界は確実に優しいものへと変わっていきます。これまでの私自身の歩みと、専門家として培ってきた科学的な知見のすべてを尽くして、あなたが本来の生きる力を取り戻し、自分らしい人生を歩き出すためのサポートをさせていただきます。

