身内や大切な身近な人を自死で亡くした人達へ

今日のコラムではお盆にちなんで、と言うわけではありませんが。身内を自死で亡くした経験がある方へむけて、その喪失体験とどう向き合っていくのか、心の傷をいやす方法についてお話したいと思います。

身内や大切な身近な人を自死で亡くした人達へ

プロフィールには少し書いていますが、私は10年程まえに実の妹を自死で亡くしています。特に秘密にしているわけでもなく、聞かれればこたえる程度にはオープンにしていますが、あまりブログなどでは妹の自死について書いた事はありませんでした。

それは、自死遺族の人が持ちやすいタブー感があったからでもあります。身内を自死で亡くした人達の多くは、どこか自分の家族の中にタブーを持っているような、人に話してはいけないもののように身内の自死を扱いがちです。

それは、自死と言うものが持つイメージのせいもあるかもしれませんが、それ以上に大きな原因としては、残された遺族の人たちは心のどこかで、身内を自死させてしまったことへの罪悪感を持つことが多いからだと私は思っています。

自死遺族の人たちが持ちやすい深い罪悪感

病気などで大事な人を亡くすことももちろんとても辛い事で、心には大きな喪失感という傷を残します。ですが、自死の場合は、避けられた死、死ななくても良いのに死んでしまったというイメージを抱きやすいため、残された人たちはこんな風に自分を責めることが多くなります。

  • どうして気付けなかったのだろう
  • 自分になにか出来る事はなかったのだろうか
  • どうしてあの時、手を差し伸べなかったのだろう
  • どうしてあの時、電話に出なかったのだろう
  • どうしてあの時、助けられなかったのだろう

こんな風に、どうして・・・?という心の問いから逃れられず、自分が何かをしなかったからあの人は死んでしまったのだ、こんなことが起きたのだという風に自死をとらえてしまいがちだからです。

罪悪感に苦しむ残された人達

たとえば、自分がたまたま友人と旅行に行っていて楽しく過ごしていた時に、親や身内が自死してしまった・・・、そんな経験をしてしまったら、その人はその後の人生はどうしようと思うでしょうか。

もしかしたら二度と旅行には行けないと思ってしまうかもしれませんし、自分が好きなことをすることや、楽しいことをすることに強い罪悪感や身体を止める感じを感じるようになるかもしれません。

私の場合ですが、私はたまたまその日、家族で少し離れた大きな公園にお弁当を持ってまだ小さかった子供たちと夫と一緒にすごく楽しく過ごしていました。そしてそれを、自分のFBに写真をアップしたんです。それは、久しぶりの家族の外出ですごく楽しい日だったのを覚えています。

そして、その日に妹は亡くなったのです。もちろんそれはただの偶然でしたし、私にはなにも原因はない事ですし、妹の死と自分のピクニックは全くつながらないものでしたが、その日に私が心の中で思ったことは

私がひとりだけ幸せそうにしたから(それを写真に載せたから)妹は死んだのだ

という考えでした。それは、とてもハッキリとした考えでしたので、今でもよく覚えています。つまり何が言いたいかと言いますと、かつての私のように自死で誰かを失った人は、その時の自分の行動や言動と亡くなった人が死を選んだ動機を繋げてしまうことが多いということなのです。

それが、遺族の人たちが抱えやすい罪悪感のもとになっていることはとても多いと私は思っています。

罪悪感を手放すことが大事な理由

大切な家族や人を亡くした人が悲嘆にくれる時間を持つ事は、心の回復過程において非常に大切です。失った悲しみや喪失感をきちんと感じてあげること、その時間を自分のために持ってあげる(作ってあげる)ことは、トラウマケアでの考え方と同じで、感情から逃げない、感じさせてあげることこそが回復につながるという基本的な感情処理と同じで重要なことです。

ですが、罪悪感に苛まれている状態は、実は悲嘆の状態を感じていることにはならず、感情のケアにはつながらないのです。

それは罪悪感は代理感情と言って、本当に感じている悲しみや耐えられない喪失感をごまかすために使っているダミーの感情だからです。

自分を責めながら無意識にこう思っていることが多いのです。「ごめんなさい、許して。わたしはちゃんと自分を罰し続けるから、私がのうのうと生きていることを許して・・・」と。

罪悪感に埋もれてしまっている時は、そんな風に、自分を罰することで亡くなった人に許されようとしている(もちろん無意識にです)ために、本当の自分の感情に焦点が向きにくくなってしまうのです。

大切な人が死を選んだことはあなたのせいではない

私も妹が亡くなったあと、1年間ほどずっと毎日泣いていました。でも、泣きながら思っていた事は、自分を責める言葉ばかりでした。

ごめんね・・・、ごめんね・・・、と言いながら泣いていたように思います。あまりにも昔の事なので、記憶は鮮明ではないのですが。。その状態からようやく本当に抜け出せたなと思えたのは、3年程がたったころだったと思います。カウンセリングを受けたり、心理セラピーを受けながら、少しずつ罪悪感を手放せるようになり、本当の意味で悲しい・・・と感じられるようになっていきました。

私が今、こんな風に妹の死を自分の中で受け止められているのは、その時受けてきたカウンセリングやセラピーのおかげです。そこについては今でもあの時の自分にセラピーが側にあってよかったと思っています。

身内の自死と言うのは、立派と言う表現は変かもしれませんが、実はとても重いトラウマ体験です。なかなかひとりの力では軽くしていくことは難しいレベルのトラウマだと私は認識しています。

それは、この身内の自死の体験には、強い認知のゆがみが起きやすいため、ただ寄り添われるだけでは罪悪感を手放すことが難しいからです。また、自死という体験の特別性のため、なかなか他人には話しづらいという特性もあります。どうせ分かってもらえないだろうな・・・と思いやすい体験だからです。

そういう意味できちんと専門の機関やカウンセリングなどの適切なケアを受けることは、死を受け入れながら人生を生きていくためにとても大事だと私は思っています。

解決していくために

ここまでお話してきたとおり、身内や大切な身近な人を自死で亡くした人達は、心の中に自分だけが持っているように感じる重い罪悪感を抱えがちです。

そうした人達にとって、まず必要なことは「人の死は誰にもどうにもできない事だ」ということを自分の心に腑に落とさせてあげることです。

とても残酷な言葉のように聞こえるかもしれませんが、人が死を選ぶことはある意味、その人が選んだ人生の選択のひとつです。幸せな選択と同様に自死もまた、本人以外の人が手を出すことが出来ないものだと思うこと、それが残された人たちが最後にたどり着く心の安らぎの場所なのです。

私も今でも、妹の写真を見て涙することはあります。もっと一緒にいたかったなとか、色んなことを相談にのってほしかったなとか、一緒に酒を飲んで笑いたかったなとか、思う時間はまだまだあります。

でも、今はその気持ちを感じる時、自分を責める罪悪感ではなく思慕の思いで思い出すことが出来ています。懐かしい気持ちや、少し切ない気持ち、それは大事な人であれば残って当たり前の感情です。それは、ずっと持っていて良いのです。

この記事が亡くなった人への辛い気持ちや自分を責める気持ちを持ち続けて苦しい人に、辛い気持ちではなく、懐かしさや温かさで亡くなった人と繋がり直しが出来るように、心の傷を癒していくためのヒントになれば嬉しいです。

Natureでは喪失体験をされた方のカウンセリングも多々お受けしています。辛い気持ちを安心してお話いただけるよう、最善をつくしておりますので、心配されず安心してご相談くださいね。

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