親と距離をとりたい、そんな自分を”冷たい”と責めてしまっているあなたへ

「親も年だし、何かあったら……」と遠くの空を眺めては、胸の奥がザワザワする。けれど、いざ電話をかけようとすると指が止まってしまう。会う予定を考えただけで、体が重くなる。

そんな経験を今、あなたはしていませんか?
そしてそんな自分を「冷たい人間だ」「親不孝だ」と責めていませんか?

実は、今この記事を書いている私自身も、同じ葛藤の真っ只中にいますし、クライアントさんや友人などから、同じような悩みを最近よく聞かせて頂いています。

そこで今日の記事では、自分を冷たい、親不孝だと責めてしまっている方に向けて、その心がすこし軽くなる方法と考え方のヒントをお伝えしたいと思います。

親との距離感がわからない、優しくできない自分を責めてしまう

心理カウンセラーとして多くの方の心に寄り添う仕事をさせて頂いていますが、一歩プライベートに戻れば、私もひとりの「娘」です。

離れて暮らす親の老いを感じ、気にはなる・・・。けれど、どうしても自分から歩み寄る気になれず、親からかかってくる電話をつい無視してしまう、そんな日が(多々、多々)あります。人間なのでそれは当たり前だと私は思っています。

老いた親との関係で悩んでいる人たちの多くは、かつての親子関係で負った小さな傷や、価値観のズレ、それらが「両親の老い」という現実を前にして、感情と思考が複雑に絡み合ってしまっていることが多いものです。
だからこそ「優しくしたい」という理想と、「関わりたくない」という本音の間で揺れてしまうのです。

もし、あなたが今、こんなことで悩んでいるなら、ぜひ最後まで読んでみてください。

  • 親の老いが気になりつつも、どうしても会いに行く気になれない
  • 電話がかかってくると憂鬱になり、つい居留守を使ってしまう
  • 優しくできない自分は「冷たい娘(息子)」なのではないかと責めてしまう
  • 近づくと傷つき、離れると罪悪感が湧き、「ちょうどいい距離感」がまったく分からない
  • 世間の「親孝行すべき」という言葉を聞くたびに、心がチクッと痛む

でもそれは、あなたが冷酷だからではなく、それほどまでに一生懸命、親との関係に向き合ってきた証拠だと言う事にまず覚えていて欲しいと思います。

あなたが年老いた親に会いたくないと感じる理由

私たちは、親が弱っていく姿を見ることで、無意識に「守ってもらいたかった自分」や「理解してもらえなかった過去」を突きつけられることがあります。

親が小さく、弱くなっていく姿は、私たちの無意識下に眠る「インナーチャイルド(内なる子供)」を激しく揺さぶるからなのです。今はもう大人になり、子供の頃の気持ちなど忘れたかのように過ごしていても、私達の無意識にある未完了の感情は、癒されない限りはずっと心にくすぶり続ける作用をもっています。

特に、幼少期にしっかりもののお姉ちゃんをして来た人や、良い子で我慢してきた人など、「甘えられなかった」「ずっと我慢をしてきた」という人の場合、その無意識の抑圧はもっと強いものになりがちです。

そうした人達は年老いた親を見ると思うのです・・・

もはや両親が「自分を救ってくれる存在」ではないこと、もう二度とあの頃欲しかった愛をもらえないこと、それを残酷なまでに突きつけられるような感覚になってしまうのです。

あなたはわたしに愛をくれなかった、それなのに私からは愛を与えることを要求してくるの・・・?
それが怒りとなって心の中でざわつくのです。

この無意識の絶望感と怒りや拒絶感が葛藤となり、

会わなくちゃ・・・、でも会いたくない・・・という複雑な気持ちにさせるのです。でもそれは、あなたが冷たいからではないし、もっと言えばあなたが親を嫌っているからでもなく。

これ以上、期待して傷つきたくない」という幼い日の自分を守るための、懸命な防衛反応であることが多いのです。

心理的境界線(バウンダリー)の再構築

会いたくないという気持ちは、これ以上自分が傷つかないための、心の大切な防衛反応(バウンダリー)です。

親子関係において、境界線が曖昧な状態を「共依存」や「心理的癒着」と呼びます。 親が老いてくると、親の側から「依存の触手」が伸びてくることがありますが、ここで境界線を引けないと、子供側は自分の人生が侵食される恐怖を感じます。

  • 物理的境界: 会う頻度を減らす、電話に出ない。
  • 感情的境界: 親の不機嫌や寂しさを「親自身の課題」として切り離し、自分の責任だと思わないこと。

「会わない」という選択は、冷酷な拒絶ではありません。むしろ、これ以上親を嫌いにならないために、自分と親の間に適切な「安全地帯」を作るための、愛あるバウンダリーだということを覚えていて欲しいと思います。

「投影」の解消:一人の人間として見るプロセス

私たちは親に対して、いつまでも「親という役割」を求めてしまいがちです。

しかし、親の老いを受け入れる過程とは、親に被せていた「絶対的な保護者」という仮面を外し、「欠点だらけの一人の人間」として再定義するプロセスでもあります。

その親の欠点に対して淡々と”ここはあの人の欠点だな”という風に、客観視しながらみれるようになる為には、自分の感情と親の姿を切り離して視る俯瞰した視点を持てるようになることが必要です。

このプロセスは非常に痛みを伴いますが、カウンセリングやセラピーなどを通して、自己受容や自己理解を繰り返していくと、誰でも自然に出来るようになっていくので何も心配はいりません。

大切なポイントは、親への大きすぎる期待を手ばなすこと、それは同時に、自分自身に対する大きすぎる期待も手放していく事でもあります。でも、それこそが心の平和を保つためにとても大事な事なのです。

親にも嫌なところはある

私にも嫌なところはある

嫌なところがあっても人間としてダメなわけではない

嫌な部分はあっても全てを否定する必要はない

自分に対しても他者に対しても、大きすぎる期待を手ばなすこと

わたしは平和に生きるためにはこれがとても大事だなぁと考えています。

自分と手をつなぐ:内なる味方を取り戻す

私たちは悩む時、つい自分の考えに迷いがちです。

こんなことして良かったのかな
こんなこと考えて良いのかな
こんなこと思うなんて最低かもしれない

そんな風に自分の内側で起きる考えや感情を責めて、外側にある誰かの正解や世間の正しさを探しに行きたくなってしまうものです。それは脳の正常な反応のひとつで、私たち人間は、不安な時に外側に安心を求めたくなる衝動を脳が持っていると言われています。それが対人関係になれば「お友達とおしゃべりしたい(そうして安心したい)」になりますし、物理的なものになればギャンブルやお酒などに走り、(不安を忘れたい)となるのです。

だからこそ、迷った時こそ・・・。

とてもしんどいかもしれませんが、外側の状況を変えようとしたり、親の機嫌を伺ったりする前に、まずはあなたの内側にいる「あなた」と、しっかりと手をつないであげることが大事なのです。

「今はどうしても会いたくないんだね。本当によく頑張ってきたね」
「そんなふうに思ってしまう自分を、もう責めなくていいよ」

そうやって、自分の中に湧き上がる、時に真っ黒(だとあなたが思っているだけなのですが)だったり、時に冷たい本音も、丸ごと抱きしめてあげてほしいのです。

私たちの心の中には、「親を放っておけないと心配する優しい自分」と、「これ以上傷つきたくないと拒絶する自分」が、どちらも嘘偽りなく存在しています。その両方に、「いていいよ」と許可を出してあげることが大事なのです。

どんな悩みの解決も根底は同じになりますが、あなたがあなた自身の最大の理解者となり、「今のこの距離こそが、今の私を守るための正解なんだ」と心から決めてしまうこと。そう決意できたとき、あなたを苦しめていた罪悪感という鋭いトゲは、驚くほど静かに、その役目を終えて抜けていくはずです。

解決に向けて

親の人生は、どこまでいっても親のものです。あなたが自分の心を削り、自分自身を犠牲にしてまで、親の期待や寂しさを埋める必要はありません。

たとえ物理的な距離があったとしても、あなたの心が静かな平和で満たされていること。 自分を大切に扱い、自分の人生をしっかりと踏み締めて生きること。 それこそが、巡り巡って、目に見える形を超えた「一番穏やかで、深い愛の形」になるのだと、私は信じています。

今はまだ、そう思えなくても大丈夫です。

年老いた親との問題は一言で解決することが難しい問題だな、と私も自分の経験からそう考えています。
だからこそ、少しずつあなたの中で納得の出せる答えが見つかるように、あなたにとっての良い答えを見つけていけるように、少しでも日々を平和に過ごせるようにお手伝いさせてもらいたいなと思っています。

ぜひいつでもご相談くださいね。

初回カウンセリングの詳細はこちら

LINEで気軽にお問い合わせ・相談

遠方の方はオンラインでも承っています
秘密は厳守いたしますので、安心してお話しください

タイトルとURLをコピーしました